考え方 |
・当たり前であるかのようなものを当たり前だとは思わないでいられる自分でいたい。
・正常(であるように見える・見せているだけ)というのは異常であり、異常であるというのは普通である。
異常である自分を正常であるように見せているだけで本当は異常であると認識した上での正常である事と、見せ掛けの正常が正常であると勘違いし異常である事を認識していない勘違いの正常ほど恐いものはなく不気味であり、また、そのような奥行きの乏しい感覚しかなくただ何かに洗脳されてるロボットみたいな「自称一般常識人」みたいな酷く不気味な人間が私はひどく嫌いであるし信用できない。
故に、人の事を変と思ったりもしないし何かと何かを比較もしないし細かい事はどうでもいい。、そういう器を持っていたい。
・人間は皆違う。そこから全てがはじまる。違うからいい。それを解らないで人と人を比較してどうこうぬかすカスは1回死んでほしい。
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名前の由来 |
「玄」は、何かぼんやりと黒く漠然とした目には見えない何か、
その目には見えない何かを大切にし何かを伝えたいという思いから、
「玄」を「守る」という意味で、玄守(くろかみ)。
「神」ではなく「守」なのは、私が「人間」だから。
鷹矢は、まぁ特に深い意味はない当て字で、もともとはローマ字で「TAKAYA」だった。
TAKAYAというと個人を特定しにくい部分もあるので、苗字をつけたバージョンとして、「玄守鷹矢」としている。
ローマ字「TAKAYA」は主に、深すぎる哲学・思想・そこから生じる多少露悪的な精神心理をあまり込めすぎない純粋に音楽を奏でたり創作する自分モードで使用、
「玄守鷹矢」は、人間の本質について深く考え(過ぎたりす)る思慮深くそしてどこか露悪的な自分モードにおいて使用するように使い分けたいが、基本はどちらでもよい(笑)
「鷹」という漢字を使っているわりに、実は本人、目(視覚など)に障害があり目が悪い、というのがどこか面白いところでもある(笑)
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